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オディシャのイカット(絣織り)

緯糸をくくり終わったところ 2009,オディシャ州マニアバンダ村 Photo:Takayasu Hattori

1.絣織物・イカットについて

世界各地の絣織りを総称して、「イカット(IKAT)」という呼び名が使われています。マレー=インドネシア語系の「むすぶ、しばる、くくる」ことを意味する「ムンイカット〈mehgikat〉」からきている言葉で、その名の通り、糸をくくって染め分けてから織ることにより、模様を生み出す織物技法を指します。
糸の束をくくってから染めると、くくった部分だけが染まらずに白く残ります。作りたい紋様のデザインに従って糸を染め分け、その糸(絣糸)を使って織ることで、白い部分が紋様となって見えてくるのです。複数回染め分ければ色も形も複雑な紋様を織ることができ、絣糸が縦方向に使われているものを経絣(たてがすり)、横方向に使われているものを緯絣(よこがすり)といい、両方に使われる最も高度なものを経緯絣(たてよこがすり)またはダブルイカットといいます。

緯糸をくくる作業 2009,オディシャ州マニアバンダ村 Photo:Takayasu Hattori

ちなみに、上記のように織物の世界では、「タテヨコ」は「縦横」とは書かずに、「経緯」と書くのが一般的です。「経緯」は織り機に通す糸のタテヨコに由来する漢字で、X軸が「経」、Y軸が「緯」。それがのちに、地球の「経度・緯度」という言葉にも転用されました。
また、サンスクリット語で「経典」を意味する「スートラsutra」は、もともと「糸、経糸」を表す言葉です。そのために「経典」という言葉には、「経」の漢字が使われているのです。対して、密教の聖典である「タントラtantra」は「織機、緯糸」を意味する言葉で、「経典には表れない秘密」を表しているとされます。
どうやら織物やそこに表される紋様は、いわゆる布としての役割にとどまらず、哲学的な概念とも密接に結びつきながら存在しているようです。

さて、絣織物=イカットは、いつどこで生まれたのでしょうか。繊維からなる織物は非常に残りにくいため、その正確な起源を知ることはできません。
目に見える形での最古の資料といわれるのが、中央インド・マハーラーシュトラ州にあるアジャンタ石窟の壁画。絣織りのような腰布をまとった女性が、複数見て取れます。アジャンタ石窟自体は紀元前2世紀~紀元後2世紀の造営とされていますが、壁画は5世紀中期~7世紀頃に描かれたと推測されるので、その頃にはインドでイカットが作られていたことは間違いないようです。一般的にはこの壁画から、インドがイカットの発祥地とされています。

アジャンタ石窟の壁画 wikimedia

もうひとつ、イカットの起源を探るヒントが、実は日本に存在しています。法隆寺献納宝物の「太子間道」といわれる古裂で、聖徳太子が用いたものとされていますが、それが事実だとすると、6世紀末-7世紀初頭のものということになります。現在は東京国立博物館に所蔵されており、仏教とともに大陸から伝来した、現存する最古の絹絣といわれています。仏教においても「経典」は「スートラ」(経糸)と呼ばれたので、仏教が織物とともに伝えられたのは、何か意味があるのかもしれません。

さて、飛鳥時代の日本に絣の布がやってきていたとしても、絣を織る技術が伝わったのは、かなり後になってのことでした。タイ・インドネシアなどの東南アジアを経て、14-15世紀に琉球に伝来したようです。琉球で発展したものが日本各地に広がり、久留米絣、備後絣、伊予絣などが生まれました。イカットはアジアだけでなく世界各地に広がっていき、ヨーロッパ、アフリカ、南米にも、各地の素材や技術と結びついた独特の絣織物があります。しかし、複雑な経緯絣(ダブルイカット)が織られているのは、インド、インドネシア、日本の3か国だけだそうです。

2.オディシャ州のイカット「バンダース」

インドではグジャラート州、アーンドラ・プラデーシュ州、オディシャ州が、イカットの三大生産地とされています。
オディシャではイカットは「バンダースbandhas」と呼ばれています。bandha=ヒンディー語で「結ぶ、くくる」の意味なので、イカットの語源と同じですね。オディシャのバンダースはほかの地域の人目を引くモザイク風のイカットとは違い、ぼんやりとした羽毛のような、柔らかな曲線が特徴。このような輪郭をぼやかした華奢な印象の模様をつくるには、非常に細い糸を細かな束ごとに結んでいかなければならないため、膨大な時間と労力がかかります。
オディシャの中でも主な産地は2箇所に分かれ、内陸部のサンバルプール(Sambalpur)と沿岸部のヌアパトナ(Nuaptna)が有名です。
サンバルプールの絣は、経緯絣の大きな格子柄を中心に置き、そのほか風景や動物柄など曲線を駆使した緯絣柄を特徴とします。ヌアパトナではタッサー(野蚕)シルクを経緯に使用し、花柄や流線柄を染め上げた綿糸を織り込んだサリーが多く見られます。もともとはサンバルプールが綿、ヌアパトナがタッサーシルクを基本としたようですが、いまは両地域ともどちらの素材も使用しています。
ヌアパトナの織り手の家庭では、先祖が織った布の端切れを、7代先まで残しておく習慣があります。一家の長老が亡くなると、彼の布を後継者が先祖代々の布に継ぎ足していくそうです。こうして、伝統的なモチーフを保ちながらも、新しいデザインや素材を受け入れながら、オディシャのイカットは発展してきたのです。

2009年、ヌアパトナからは3㎞ほど離れた地にあるマニアバンダManiabandhaという村を訪れました(イカットを意味するbandhaが地名についていますね)。
家々の軒先で糸を紡ぎ、くくり、染める女性や子供たち。土間に埋め込まれた大きな織り機で、上半身裸で汗をかきながら、力強く布を織る男性たち。糸車の回る音、機を織る音、子どもたちの笑い声。あれから10数年たってしまい、村もすっかり変わっただろうなと思っていたのですが、今年現地スタッフが撮影した映像を見て、その変わらなさに涙が出そうになりました。いえ、一見変わらないように見えますが、こうした手工芸の現場は、やはり以前より厳しい状況にあるようです。

写真は2009年のものですが、現在のイカットづくりの村の映像は、こちらからご覧ください。

人懐こい笑顔の村の人たち photo:Takayasu Hattori


糸をつむぐ女性 photo:Takayasu Hattori


サリーの裾になる部分に、細かな絣模様を施す photo:Takayasu Hattori


織り機が並ぶ土間 photo:Takayasu Hattori


オディシャのイカットでつくられたサリーと、オディッシーダンスの関係については、また次回に。